退職後の諸々手続き

◯退職後、まずやらなければならないこと

・前職から離職票をもらう

ハローワークで失業保険の手続きをする(会社都合でも自己都合でもとにかく早く手続きする)

・役所に行って健康保険と年金の手続きをする(会社都合での失業の場合は保険の支払額が軽減される措置があるので必ずやる)

・有給期間をのんびり過ごす

 

◯落ち着いたらやること

・転職サイト、エージェントなどの登録

・就職活動

・日々の仕事に追われない時間のありがたさを噛み締める

 

 

うーん、いまいち思い浮かばない。

ここでメモするよりまとめてくれた方のサイトやブログを見た方がわかりやすいなあってことだけはわかりました。。。

肺炎になった話②

 ◯インフルじゃないのに熱が下がらない(肺炎3日目)


※前回の続きです。


さて、謎の発熱から3日目。


前日の月曜日は丸一日会社を休みましたがそう何日も休んでられないと思い、インフルではないので出社しますと会社に伝えましたが、会社からは逆出社拒否されました。


なんてホワイトな職場なんでしょう!いや、私は出勤したいのだけど。収入が。。。泣


ちなみに朝起きた時の熱は 38度と、少し下がってました。


しかしながら前日のキムチ鍋うどんの刺激が強かったのか、はたまた熱で胃腸も弱ってしまっていたのか、酷い下痢をしてしまい、午前中は寝込んでました。


夕方お腹の調子も落ち着いてきたのと熱が下がらないため再度例のクリニックにでかけました。この日は老人たちの波も落ち着き、随分と空いてました。
(今後このクリニックに来るときは夕方にしようと誓いました)

 

熱が下がらないことを伝えると、当然のことながらもう一度インフルエンザの検査を受けるよう促されます。

前日とは違い待ち時間も短かったため、待合室で気楽に待つこと十数分、結果はまたも陰性

インフルでもないのに3日も下がらない熱に不安を伝えると、お医者様から、念のためレントゲン等他の検査を受けないかと提案されます。

 

しかしながら、ワープアにつき貧乏なその日の私の手持ちは2,000円・・・。

レントゲンを撮るとなると、すっからかんになることは確実のため、もう少し様子を見てみますと、検査を断りました!

いや〜この時の自分の判断、今思うとアホです。バカです。

そして思いました。この歳で、まともな医療を受けられないくらい貧乏なことがどんなにか惨めか、というより危険かということ。

 

◯ようやく、肺炎と診断(発熱4日目)

結局翌日も熱は下がらず、翌日も会社を休み例の病院へ。

 

昨日と同じ先生だったため「昨日はすみません、やっぱり検査してください。」と頭を下げレントゲン検査を懇願。

待つこと5分、すぐに先生が現れ

「肺炎ですね〜。見てわかるように、肺が真っ白です笑。タクシー呼ぶのですぐに近くの大きな病院行って詳しい検査受けてください。」

と告げられます。

 

実に25年ぶりの肺炎の宣告。

告げられた時はめちゃくちゃ意外でした。

なぜなら25年前の小学生の時は死ぬんじゃないかと思うほどの熱(40〜41度)と咳だったのに、今回は会社行こうか迷う程度の熱(38〜39度)と夜中に少し苦しくて眠りづらいくらいの咳。

よく大人になってかの大病の方が子供の時より苦しいって言いますけど、あれ嘘なんだな〜って思っちゃいました。

 

◯その後の話

さてその後は、大きい病院でめちゃくちゃ待たされてまた具合が悪くなりながらCTや血液検査など受け、肺炎確定。

マイコプラズマの可能性が高いので、発熱の日から数えて1週間は仕事行かないように告げられ、血液検査の結果が出る4日後また来るようにと薬だけ渡されて帰されました。

ちなみに全部検査終えて帰されたの20時過ぎててちょうどいいバスもなく、徒歩20分歩いて帰りました。熱39度近くあったのに。

 

その後4日間、何もせずただ薬を飲んで熱が下がるのを待つだけの、しかもたった6畳の部屋で1人孤独に過ごした日々はさすがに精神的にも応えました。

何もできず、誰とも話せずただ1人で過ごすしかないという意味では、25年前より辛かったかも知れません。

まあ後半は熱が下がってきたのでアマプラで映画とかドラマ見ながら過ごしましたが。

 

 ◯肺炎話まとめ

そんなこんなでとても長くなり、オチも何もないただのだらだら昔話でしたが、一つ言えることは、

もしこの先新型コロナウイルスに感染した場合、過去2度も肺炎を患っている自分はかなりの確率で重症化しそうな予感しかしない。

ということです。

 

普通の肺炎でもかなり苦しいし高熱が続いたのに、正直言って今からとても怖いです。

一人暮らしなこともあり、孤独死が頭をよぎります。

お医者様にも、最後病院行った日に「完治はしてるけど白い影が少し残ってるし、原因がわからなかったので、今後も風邪を拗らせたら肺炎になりやすい体質になってるかも。気をつけて下さいね。」と言われました。

 

まあ相変わらず就活中の今のところ、そもそも人と会う機会が少ないのでそこだけは心配ないのかなあとは思いますが。

過去大学生の春休みで2週間ほぼ引きこもっていたのにもかかわらずインフルエンザにかかったこともあるので油断はいけませんね。

引きこもってると逆に免疫力落ちそうですし。

 

 

というわけで、今日はここまでで。

(ノ_<)

 

肺炎になった話①

新型肺炎の脅威に晒されている日本


さて、現在世間は新型コロナウイルスの話題で持ちきりですね。


当初は専門家の方々も「それほど感染力は高くなく、心配はない」と言ってましたが、春節の時期に中国人観光客が入り込んでしまった影響か、あっという間に日本国内でも感染が広がってしまいましたね。


世界では中国だけでなく東アジア全域への渡航を全面規制する国もあるそうで、果たして東京五輪までに収束することができるのでしょうか?


もし難しいようであれば、東京五輪は延期、最悪の場合中止もあり得るかもしれませんね。


そんなことになったら選手たちや準備に携わってきた方々にとってとても残念なことです。


そうならないよう、何とかこれ以上感染が広まらないことを祈ります。

 


さて、前置きが長くなってしまいましたが、
本日はそんな大流行の新型肺炎についてではなく、私が(新型ではない普通の)肺炎になったときの話をしたいと思います。


実は私、人生40年近く生きている中で2度の肺炎を経験しており、新型が感染した場合に重症化しないという心配があります…。

 

 


◯人生初の肺炎は小学生の時


人生初肺炎は、小学生の時でした。


その年は記録的な猛暑と水不足のせいで日本中が米不足になり、後に「平成の米騒動」と呼ばれ、「タイ米」が流行したのもこの年です。


私の実家は幸いなことに日本米に不自由することなく、タイ米は給食で出たものを一度食べたきりでしたね。


そんな暑い年ですので、比較的暑さの緩い私の地元でも、建物や乗り物の中はガンガンにクーラーがつけられていました。


今では考えられませんが、昔はクーラーなしで過ごせる夏も少なくなかったんですよね。


そんなある日、母の車で長時間移動中、部活で疲れていたためか往復ともぐっすり眠ってしまいました。ガンガンに効いた冷房の中で。


そして起きて数時間後、なんか頭が痛いし寒気がするし咳も出る、これは慣れない冷房によって風邪を引いたのかもしれない!と親に報告。翌日には病院に連れて行ってもらいました。


病院では最初「気管支炎」と診断され、咳止めの薬などを処方されました。


しかし数日経っても熱が下がらないためまた同じ病院に行ったところ、「マイコプラズマ肺炎」と診断。


マイコプラズマ肺炎は主に若い人が感染する肺炎で、風邪やインフルエンザのように他人にうつりやすく、何年かに一度流行することからオリンピック肺炎と呼ばれていたこともあったそうです。


診断後、医師から「入院します?それとも通院します?」と聞かれました。


その時は夏休みで親戚が家に集まっており、母がまだ小学生の私の入院に付き添うのも難しそうだったため、通院を選びました。


しかし夏休みというのに自室に引きこもり、高熱と止まらない咳に何日も苦しめられ続けられると、このまま死んでしまうのではないかと小学生ながらに思ってしまうものです。


このとき、熱は最高41℃を記録しました。


元々体温が高い方だったから余計に発熱したのかもしれません。


そんなこんなで、夏休みの半分以上を肺炎と戦う日々を過ごした小学生の私は、体重が5キロも減ってしまいました。


その当時はやや肥満児だった私ですが、なんか普通の体型っぽくなり、周りにも痩せたねと言われ、肺炎は苦しかったけど痩せられてラッキー!と能天気に思ってましたね。


1〜2ヶ月程度で元の体型に戻りましたけどね…(-.-;)


これが私の気億する一度目の苦しかった肺炎の体験です。

 


◯アラフォー、突然の発熱(肺炎1日目)


さて、小学生時代の話が随分長くなってしまいましたが、今回はその時以来の、人生二度目の肺炎にかかってしまいました。


きっかけがなんだったのかはっきりは分かりませんが、昼過ぎまで寝ていたとある日曜日、起きたときからなんだか頭が少しガンガンし、寒気がしました。


寒い日のことで、しかも私は頭痛持ちで冷え性のため(アラフォーあるある)、寝ている間に身体が冷えたのかな?と思い、あろうことか身体を温めるために、近所の銭湯に出かけました。


銭湯では案の定、熱い風呂から上がると少し呼吸が苦しくなり、頭がクラクラして、湯あたりをしたような状態になりました。


しかしその時点でもまだ、軽い体調不良なのかなー?くらいにしか思っていませんでした。


自宅に戻り念のため熱を測ると、37.8度の微熱が!
12月の前半頃でしたが、今年は全国的にインフルエンザの流行が例年より早く、既に住んでいる地域でも流行り始めていました。


そんな時期のため、普段風邪ではあまり発熱しない私は、これはインフルの可能生が高いと思い、念のため休日ですが上司に報告しました。


上司からは、明日午前中は出社しなくていいから病院でインフルエンザの検査を受けてくるよう命じられました。


前職は多い時でも20人以下の小さな会社のため、インフルが流行し人手不足に陥ると業務がストップしてしまうということで、インフルエンザに対しては寛容で、無理やり出社させるようなことはまずありませんでした。


しかしながら病欠=欠勤扱いで給与から引かれるため、もちろんなるべく欠勤はしたくありません。


とにかく必死で熱を下げようと下熱剤を飲んだり冷えピタで冷やしたり栄養ドリンクを飲んで早めに寝たりと、その夜は全力で回復に努めました。

 


◯風邪?インフル?謎の発熱(肺炎2日目)


翌朝起きても熱は下がっていなかったためとりあえず近所のクリニックへ行ったところ、月曜日のせいもあってかクリニック激混み!!!


御老人の方々が血圧の薬などを貰いに来るそうで、月曜日は混み合うから熱のある方や具合の悪い方はベッドで横になったり先に診察することもできるから声かけてくださいねって診察終わってから言われました。。。
先に言ってくれ!!!!


そんなもんだから待合室でどんどん具合悪くなってしまい、診察前の体温測定では38.5度を記録。あーこれは間違いなくインフルやんなーと確信。


が、鼻の奥に細長いティッシュみたいなのをねじ込む例の検査(痛い)を終えた結果、
インフルは陰性。


しかも熱と寒気以外今のところ症状は無いのでとりあえず解熱剤と普通の風邪薬的なのを処方されました。


ただインフルは熱が上がった直後は検査で反応出にくいらしく、明日熱が下がらないようならまた来てくださいとのこと。


そのまままの話を会社に電話で伝えたところ、今日はもう来なくていいから明日も熱下がらないようならまた病院行くようにと言われました。


これだけ聞くと、なんてホワイトな職場なんでしょう( ;  ; )
しかしながら私の部署はアルバイト除くと私1人なのでおそらく以前一緒の部署にいた子が駆り出されてあたふたしてると思うと心苦しいし、何より休みすぎると翌月の生活費が…。


と、身体よりもお金の心配が先立つ貧乏ワープアなのが情けなくなります。アラフォーなのに(泣)病院も検査とかいろいろするとお金かかるしね。


そんなこんなでその日はスーパーでポカリや冷えピタ、マスク、食欲はあったので食材も買い込んで帰宅しました。


そういえばこの時はまだスーパーやドラッグストアにもマスクは普通に売ってましたね。当たり前ですが。


このとき大量に買い込んだお陰で我が家にはまだマスクのストックが残ってます。
でも外出するときに限ってマスクを忘れるんですよね。意識低いですね。


その日はキムチ鍋うどん(病人のくせにそんなん食うな)を食べて薬飲んで寝ました。

 


※長くなりすぎたので次回に続きます。

 

過去の日記の話①

過去のブログを発見したとき

 

このブログを開設するにあたり、過去自分が書いていたブログを発掘する作業をしました。

実は過去にはいろんなブログを開設し、数件の記事を書き散らしては飽きて辞めてきました。

 

そんな20代の頃に書き綴ったブログを振り返り、

「昔から変わってねーなーしょうもない人間だったなー」とか、

「面白いこと思ってるじゃん昔の自分」とか、

思った記事を、たまーに思いつきで転載してみようかなと思います。

 

 

過去のブログタイトル

 

 

  • 「なにも考えてない人の日記」(2005年5月〜2011年3月)
  • 「迷宮入りな日々」〜ほとんど毎日呑んだくれてます〜(2007年12月〜2009年8月)
  • 「タイトルなし(GREE内の日記)」(2010年2月〜2011年5月)
  • 「現実逃避な日々」〜もはや人生から逃げられない独身三十路の現実逃避の独り言〜(2016年3月〜4月)
  • 「○っ○ーの○ゅー○なじかん(アメブロ)」(2014年4月〜2016年8月)

 

 

このほかに、tumblerで日記が2つ存在していました。なんて飽きっぽいのか。

 

再会するなら同じブログ内ですればいいのに、なぜかリニューアルしたがるし、期間被って更新し続けてるのも謎・・・。

 

 GREEアメブロに関しては当時好きだった芸能人がブログを掲載していたので、コメントを残すために登録し、その期間だけメインで更新していました。

 

 この中から今回は、

人間関係がキツすぎて1年で仕事を辞めてしまい無職になった直後の闇落ちした若かりし頃の日記を抜粋

(※若いってこと以外今と同じような状況の頃です)

 

_____________

 

※以下、過去日記

 

 

深夜に思うこと

ちゃんと就職活動をして、
まともに働きだそうと思う度にいつもいつも
ちょっとしたことで挫けてしまう。
 
 
でもその度に思うことは、
 
 
まともに生きている人間はみんな、
自分の考えや意見をしっかりと持ってるんだよなあということです。
 
 
 
自分は人に合わせるか意味もなく反抗するばかりで、
 
自分自身が何をしたいのさっぱりかわからない。
 
何が出来るかも全く分からない。
 
何にも出来ないとしか思えないから、
 
そこで思考停止してしまというスパイラル。
(スパイラルなのかどうかは知りませんが。)
 
 
ともかく、
頭が悪いとか、
経験が浅いとか、
出来ることが何もないとか、
 
自分ではとっくに自覚していることなのに
他人に指摘されたり、
評価されることに、
極端に臆病になっている、
 
典型的な引きこもりニート脳人間なのです。
 
 
 
 
そのせいで(否定されるのが怖くて)自分の意見が持てなくなってしまって早20数年。
 
もはや他人の考え出した言葉以外で自信を持って語ることなど今の(おそらくこれから先も)自分には不可能なのではないかと思ってしまう今日この頃。
 
 
 
 
どうしてこうなった???????
 
 
考えれば考えるほど、
死にたくなるけど、
 
こんなこと他人に言っても
死ぬのはまだ早いって言われるだけなので、
(2chで言ったらじゃあ死ねと言われるんだろうけどw)
 
 
まあ、
それでも行動を起こさなきゃどうにもならないのはわかってるんだけど、
 
その決心が持続しないのが問題なのです。
 
 
 
今こうして悩んでいるのも、
確実に答えの出ない無駄な時間。
 
 
 
まさに、人生を台無しにしている。
 
_____________
 
 
 
 

 

感想

 

はい、めちゃくちゃマイナス思考に陥ってます。笑

自分を否定されまくって前職を辞めた上に、就活も上手くいってなかったんでしょう。

当時は死にたいが口癖だったと思います。泣

 

とはいえ全体としては今とほぼ同じ思考回路をしているような気がします。

 

今もこのように、

他人と比べて自分はどういった部分で劣っている。だから人生が辛い、上手くいかない、でも何もやる気がしない。もうダメだ。という典型的なネガティブ思考、

自分のことが好きになれない、でも誰かこんなダメな自分に気付いて!っていうメンヘラ構ってちゃんですね。

 

 おそらく、「そんなことないよ!」とか、「みんなそんなもんだよ。みんながみんな立派なわけじゃないから気にするな!」とか言って欲しいんでしょう。

 

随分自分の過去に辛辣なこと言うな、って感じですが、まあ20代ならこれくらいのネガティブさを全面に出しても慰めてくれたり理解を示してくれる大人たちはいます。

 

しかしこれがアラフォーともなると、「何言ってんだお前、いい歳して甘えたこと言ってないで働け!」と一蹴されることでしょう。

 

だから決して他人にはこうした態度を見せてはいけなと思い、余計に心が荒んだり、身体を壊したりしてしまいます。

 

だけど、他人にはそうした甘えは許されなくても、せめて自分自身は自分のことを気遣ってあげないとですね。

 

特に体調面については、20代の頃のようには乗りきれなくなってくるので、

ストレス溜め込んでるなと思ったら身体がおかしくなる前に休みましょう。

 

でも、同世代はママやってる人たち多いからそう簡単にはいかないんでしょうけど。

やっぱり自分はまだまだ甘ったれてるなあと感じます。

同じアラフォーの方々と比べて。

 

 

 

では、今回もこのへんで(^。^)ノシ

転職フェアに行ってきた

◯初めての転職フェア

さて、転職活動が続いている私ですが、某転職フェアに行ってまいりました。

東京ドームの近くにある小さなホール?みたいなところで定期的に開催されている某転職関連企業の主催するフェアです。

 

ちなみのその企業のエージェントにも申し込んだのですが、例によって「あなたに紹介できる仕事はありません」と冷たく突き放されたりしています。

つまり、なんの期待もしてません。

まあ、単なる暇つぶしと出会いを求めてですね。

 

◯まずは面談

さて、フェアに行ってみるととりあえず、担当との面談のための番号札の列に並ばされます。

そこでまずは面談を待ちます。

待ち時間が長い時はその間に企業のブースを回れるそうですが、私が行った時間は空いていたのでそのまま面談の列に並びました。

 

面談では、自作の履歴書などを見せつつ書類が通らないことへの悩みを打ち明けました。

しかしながら、結果は転職エージェントの担当と同じ。

書類自体に特に悪いところはないので、このまま応募し続ければ面接に進めるからから諦めないで、という話でした。

 

うーん、正直前向きに言われたのは嬉しいけど、解決策、打開策はないなあっていう思い出した。

 

◯ブースを回る

その後、モヤっとしつつも企業ブースを回ります。

元々志望していた事務職意外にも、未経験でもOKな営業やSE職のブースにも顔を出してみました。

しかしながら、やはり未経験OKの職場はそこはかとなく漂うブラックの香り…。

そこに吸い込まれる若者たちを見ていると、世間の世知辛さを感じ、逃げるようにブースを後にしてしまいます。

 

そこでなんとなく歩いてたら、保険の営業のブースにいたおっちゃんに声を掛けられました。

保険の営業といえば、多様性が叫ばれるご時世に口にしてはタブーかもしれない、生保レディのイメージが強いですが。

どうやらそのおじさんは、生保レディを大量に抱える部署の部長さんらしく、男女比率は1対9とのこと。

女性が9割の職場で管理職って、想像するだけで大変そうですが(そういうことを言うのもいまの時代タブーか…)

 

◯収穫なし

さてさて、そんなこんなで何も収穫がないままはじめての就活フェアを終えました。

最後何故か進撃の巨人のプリクラみたいなのを撮らされて記念動画もらいました笑

進撃の巨人は5巻くらいまでしか読んでないのですが…。

 

そんなこんなで前途多難な転職活動ですが、実はこの時には全くと言っていいほどの予想もしていなかった展開が、もうすぐやってくるのでした。。。

 

 

それでは、今日はここまでにします。

ありがとうございました(^ー^)

書類選考が通らない

◯就職活動をはじめてすぐ、壁にぶち当たる

先日のブログでも書きましたが、転職活動を始めてすぐ、書類の通らない地獄の日々が続きます。

エージェントには特に書類を直されることもなく仕事を紹介してもらってるのですが、その書類が通らない通らない…。

 

写真が悪いのかなーー、

やっぱり年齢のせいか、

この歳でキャリアチェンジは無謀なのか(チェンジというほど場違いな志望はしてない)、

やはり特別な資格やスキルが必要なのか、

などなど…悩む日々が続く。

 

エージェントの担当に相談しようかなーと思いつつ、落ち込みすぎて自分より年下の担当相手に悩みを相談できないまま時間だけがすぎていく日々。

正直八方塞がり感がぱなかったです。

 

どうにかしようと思いつつも、働いてないのでだらけてしまう時間が長くなってしまうし、昼夜は逆転してるし、1人狭い六畳間で悶々としてると、死にたくなる日も少なくないです。

 

しかしながら、20代30代で死にたい経験を沢山繰り返してきた自分はもう、これくらいのことではそこまで絶望することもできず、とりあえず悶々とした日々を過ごします。

 

うーん、次なる打つ手はあるのかなーと悩みつつも、ネットで色々調べた末、転職フェアに行くことを決意しました。

 

とにかく人に会わなすぎておかしくなりそうなので、人が沢山いる場に行って少しでも生きる気力を取り戻そうという、安直な考えですが。

 

でも、人と会わないと人は本当におかしくなると思います。

それが友達とか恋人とか家族とか、親しい間柄だけではなく、とにかく誰かしら人と会わない時間は精神を蝕みます。

元々人付き合いが苦手で友達の少ない自分ですらそうなのだから、普段から人付き合いの活発な人なら尚更なんでしょうね。

 

というわけで、不純な動機ですが、次回は転職フェアに行った話にしたいと思います。。。

 

それでは、今日はここまで。

ありがとうございました(^ー^)

 

転職エージェントを利用してみた

◯そうだ、転職エージェントを利用しよう!

さて、有休消化期間ということで長い冬休みをだらだら実家で過ごすこと1ヶ月。

この1ヶ月やっていたことといえば、とりあえず1社だけ書類応募と、2〜3つほど転職エージェントへの登録です。

 

過去、就職活動や転職活動の際には、いわゆる転職サイトとハローワークしか利用したことがなかった私ですが、「職歴がある場合は転職エージェントが良い」、と先に転職を決めて退職した後輩(20代半ば)から聞いていたため、早速登録してみようと色々書類を用意したり、写真を用意したり、自前のPCがない実家からiPadを駆使してちまちまと活動をしていました。

しかし、ここにもアラフォーの悲劇が。。。

 

転職エージェントの多くは、ターゲットが20代前半〜 後半。せいぜい30代前半まで。それも30代になると具体的な経歴やスキルが必要となる。

というわけで、後輩からお薦めされたエージェント2社からは「現在あなたに紹介できる求人はないため、登録は見送らせてください」という非情なメールが、登録した即日に届いてしまいました。

出鼻をくじかれる形となり、就職活動開始したばかりの私はすでに心が折れそう。

そんな中、就職活動といえばここ、といった誰もが聞いたことのある最大手の某社のエージェントに一縷の望みをかけ登録したところ、「初回面談の希望日の連絡をください」と救いの手(メール)が!!!!

 

◯エージェント担当と初めての面談

ようやく就職活動を始めるきっかけができ、有休期間も終了間近のため、長い長いモラトリアム(実家生活)を終え、一人暮らしの我が家へ戻ることを決意。

これだけ長いこと実家で過ごしたのはほぼ10年ぶりのことだったため、後ろ髪惹かれる思いでした。

アラフォーとはいえ、結婚して自分の家庭を持ったりしていないとやっぱり実家では母に甘えてぐーたら食事が出るのを待ち、お風呂が沸くのを待ち、寝るだけという気楽な生活になってしまいます。

ここら辺で自分のダメ人間っぷりがわかりますね。

実家からしたら、無職の結婚もしていないアラフォーがいつまでも実家でダラダラされていたら近所からも噂されるし迷惑でしかないと思いますが。

 

とまあ、余談はさておき、

早速、東京駅に隣接する某ビルにある某社のエージェント面談を受けました。

 長年小さな職場の小さな倉庫に隣接した小さな小屋みたいなとこで働いていた私にとって、いかにも大企業!といった感じの建物に入るだけでびびって緊張してしまいました。

 

受付を済ませたあと、個室に案内され、待つこと5分ほどで担当の方が現れました。

入ってきた担当は見た感じ、明らかに私より年齢が下の女性。

この歳になると、この先の就職面接も就職を決めてからの職場でも、周りは確実に年下が多いであろうことはわかってはいますが、そうはいっても毎回少しは落ち込みますよね。

世間と自分との差に。。。

いちいちそんなことで落ち込んでいたら前に進めないのはわかっているのですが、めんどくさい性格なのでやっぱりそこは落ち込みます(T . T)

 

◯面談の内容は?

それはさておき、肝心の面談内容はといえば、

なぜ転職を考えたのか(前職の退職理由含め)、これまでどういった仕事をしてきて、この先どういった職種、業種を目指したいのか、将来像は、自己分析について等。

まあ予想の範囲内のことを割とサクッと聞かれ、事前に登録した内容と用意してきた書類を添削してもらいました。

(書類については正直このままでいいからこれで申込開始してください。と言われただけで、特にアドバイスなかったですけど(^_^;))

そして月に2〜3度行われている「面接研修」だけは時間があればできるだけ受けてくださいということ、何かあれば気軽に連絡ください、担当からもときどき様子を伺うために連絡しますという話で締め、初回面談は終了。

 

正直ためになったのかどうかわかりませんが、この面談内容によって何を重視しているかを確認し、それによって紹介される求人内容が変わってくるそうです。

紹介される求人には、担当が直接紹介するものと、登録内容やこれまでの応募状況からAIが判断して段々マッチしていくものとがあるとのこと。

「AI」ですって、奥さん。

今はもう、なんでもAIなんですね。正直昭和生まれのアナログ人間からすると、なんでもAI化が進むのは少し恐怖なんですが、これも時代ですね。

まあなんだかんだSNSとかYouTubeとか電子マネーとかサブスクとかスマホアプリやゲームとか、若者の間で流行るものには流されてあっさりハマってしまうアラフォーですが。

 

◯面談を終えて

無事面談を終え、言われた通り直近に開催された「面接研修」にも参加し、さあこれからどんどん応募して面接受けるぞー!と意気込んだのも束の間、

このあとすぐにまた、「書類が通過しない」というアラフォー転職あるある、アラフォーの悲劇に悩まされることになるとは、この時は思いもしてませんでした。(←少しは予想しろよという感じですが)

 

ですが、この悲劇についてはまた別日にします。

今日はここまで。さようなら〜(^^)ノシ